さて、アメリカの学校は6月半ばから夏休み
子供達: 「きゃぁぁぁぁ
親達: 「きゃぁぁぁぁ
っと違った叫びを上げる時がやってまいりました。笑笑笑
タマはゆる~り夏休みを満喫しております。

学校が休みの時には自宅セラピーもお休み。
お兄ちゃん→街の施設でボランティア活動
三男坊→街の夏休み子供プログラムに参加
maki→仕事はお休みなので主婦のフリ
タマ→以前はお兄ちゃんと一緒に子供プログラムに参加していたのですが、
ある日を境にNOと断固たる参加拒否声明

その「ある日」。
いつものように坊達を迎えに行くと。。。

「タマは?」
みんな一緒にゾンビタグ(日本版 「かたち鬼」の「鬼」が「ゾンビ」バージョン 笑 )で遊んでいる集団の中にタマの姿を見つける事はできず...。

タマ=当時6歳。
お兄ちゃん=当時8歳。
→「もし、タマに意地悪をする人がいたらボクが守る。」と、ヒーロー感ガンガンみなぎる気持ちを伝えてくれていました。
ランチを食べる時もタマと一緒。
トイレに行く時もタマと一緒。
野球でヒットを打ってもタマと一緒。→100%アウト
ゾンビタグのようなゲームになると、タマが自分の視界から外れない所にいるか確認をしながら、みんなと一緒に汗だらっだらで遊んでいました。

私の姿を見たお兄ちゃんが
「タマならあそこでおりこうさんにしてるから大丈夫だよ。」っと指を差してくれた方を見ると...。
ポツンと1人。
遊んでいるタマを発見...。と...。
木の前にちょこんとしゃがんで幹の皮を剥いで皮で地面に「超美しい円弧」 (出ました〇‼ 笑)を作成していたのです。

集団行動になかなか入れない・興味を示さない
↑↑↑
これも自閉症あるあるの1つ。
プログラムのスタッフにはタマの事をきちんと話し、了解を得ての参加。
このプログラムには地元中・高・大の学生ボランティアもいて、プログラムディレクターが「大学で福祉を専攻してる子がいるから、その子にタマを是非紹介させて下さい。」と言って下さり、私も心強く思ったのですが、タマの事を気にしながら遊ぶお兄ちゃん&木と遊ぶタマを見て心がチクチク痛みました

この時、福祉を専攻をしている大学生が別の場所から歩いてきて私に言いました。
「授業で習ってる通り、タマの障害を理解して受容しようってがんばったけど、何度言っても他の子と遊ばない。言うことを聞かないので。」と完全に頭に来ているご様子。

「タマの事を見ていてくれてありがとう。イライラさせちゃってごめんなさいね。」
そして、
タ~マ!」
声を掛けると、にっこり笑って「やっと迎えに来てくれた~!」という安堵の表情。
私の所に走って来てむぎゅ~っと特大ハグ
そして「ご~いんぐ ほ~む。」(家に帰る。)と。
「うん。お家に帰ろうね。」と言うと穏やかな微笑みを見せたタマでした。

大学生は、タマに"See you tomorrow!"と言ってくれたのですが、
NO「BYE BYE」っと極太声で2発。
 
(あはは。出てしまったか。よっぽどイヤだったのね。)

毎日の生活の中で「どうしてこの人はこんな事もわからないんだろう」って頭にくる事、私もあります。
多かれ少なかれみんなそんな事を繰り返していますよね。
これは「障害」がある人に対してに限られた事ですか?

障害だけを理解して受容する事は、この大学生ボランティアが授業で習っているようにスムーズに辿れるプロセスではありません。実際に、私もタマの障害を完璧に理解なんてできてないですもん。
気が付いたのは、
障害を理解するのではなく、機能的にできない事も持ち合わせているとしてのタマを理解して受容する方が「お互い様~」って感じで心中穏やかでいられるなぁって事。
そう考える事ができたら、本当の意味で環境とか街にある「障害」が無くなるのではないかなぁって思います。

この時から、学校が休みの時には、お兄ちゃんはお兄ちゃんの外での楽しい時間。三男坊も同じく。
そしてタマと私は2人で「おしゃれサロン」を開店する事になったのです。
次のブログで、みなさんも「おしゃれサロン」の中に遊びに来て下さいね。