2011年5月から特別学級助教員として勤務し始めてからもうすぐ丸4年。
特別学級でこれまで一緒に学んだ100人以上の生徒達。
1人1人それぞれ思い出・思い入れがあります
それでも、マシューは私にとってすごく特別な生徒の1人。

助教員には2種類の任務があります。
①1人の生徒を最優先に個人講師・お世話係をしながら、担任のサポート(※1必要教材の準備少人数グループレッスンで教科を教えるetc.) & 自分が個人で見ている生徒が「大丈夫」な時には、他の生徒のヘルプ・サポートをする。
②クラス付き助教員として、担任のサポート・他の生徒全員のサポート (※1)を随時行う。

私に最初に下りた辞令は前者の方。
マシューは最初の「私の個人生徒」でした。
小さい時からEpileptic Seizure (=てんかん発作)を頻繁に起こしていたマシュー。
発作が起きると、「倒れる」というより、まるで電気のスイッチが突然OFFになったように「ぐにゃっと崩れる」ように意識を失ってしまいます。マシューは、サイクリング用の大きなヘルメットをかぶった生徒でした。発作はいつどこで起きるのかは誰にも予想がつかないため、校内の主要スタッフに繋がっているトランシーバーは常時携帯。万が一の時には人工呼吸も施す必要があるので、学校区から渡されたマウスピースも常時携帯。発作が起きた時には、「マシューが発作を起こしています。〇〇〈←場所〉で、介助しています。車いすを持ってきて来て下さい。」と連絡を入れるのです。マシューの発作の情報はすぐに校長、教頭、カウンセラー、看護師にも渡り、全員現場に集合。マシューを車いすに乗せて移動開始まで安全確認の立ち合いをしてくれます。

私の前に、マシュー付きだった助教員がこのポジションを去った理由。
それは、マシューの発作が起きる度に、助教員自身がパニック状態 に陥ってしまったからだそうです。
確かに心臓の弱い人には難しいポジションかもしれまん。

ほとんど毎日大きな発作が起きる時期もあり、大きな発作の時には、
☛目は白目むき出し。
☛引きつけを起こす。
☛よだれも流れ出る。
☛失禁することもあり。
でしたから。

マシューと一緒に学び始めて3日後。
初めてマシューの発作が起きた時もまさにこの状態でした。
気づいた時にはマシューは教室の床に...。
●私の母が 看護師だったので、手術室での話しや患者さんの話しをよく聞いていたから?
●大好きだった父の死が私が最初に直面した「人」の死だったという悲痛な経験をしたから?
●出産を経験しているから?
●タマが自閉症だと悟った時、maki史上最も電撃的な「エルビス事件」を乗り越えられたから?
●ただ単に 心臓が強靭?

私はこのような状態を初めて目の当たりにしてもパニックにはなりませんでした。

ただ
てんかん発作が9歳の子供の体に掛けている負担の大きさに胸が締め付けられる思いでした。
でも、マシューの事を最優先に考えれば、ヘルメット除去→気道確保→時間確認→連絡→マシューに呼びかける。という行動は冷静にできました。床に頭と体を打ち付ける前に、マシューをしっかりキャッチしてあげられなかった事は「 ごめんね~マシュー!」と心底思いました。
マシューの意識が戻ると車いすで保健室に移動。
発作後には非常に体が冷え、眠くなるマシュー。(←それだけ脳・体にかかる負担が大きいという事。)親が迎えに来るまで付き添います。マシューが下校してしまうと、教室に戻り、担任と他の生徒達の全面サポートに入ります。

大きなてんかん発作はこの翌日にも起こりました。
休み時間が終わり、校庭にクラス全員が整列終了直後。
マシューの様子が「 」。
「あ 」っと思った瞬間にはもう発作発症。
校庭のコンクリートに頭と体を打って欲しくないっと強く思った瞬間に、マシューの体をキャッチする事ができました。前日、てんかん発作という物を初めて見た時。マシューの体は左に倒れたので、靴底の減り具合を確認していたのです。左の靴底の減りを見て「体の左側に重心がかかっている」とわかったので、2回目の発作では、すぐにマシューの左側に回る事ができました。
マシューは、体重が私の1.5倍ある体格のいい9歳児だったので、脱力したマシューの体重を受けた私の腕と腰には驚きの『ズシン波』が走りましたが...。

3年生の終了間近に出会ったマシュー。
出会った頃には保育園児レベルの読み書き・算数もままならなかったマシュー。
てんかんを抑える薬の副作用で指先が震えていて文字もゆらゆら。ペットボトルのふたも開けられなかったマシュー。小さなてんかん発作(体が凍ったように唇が震えて、視線がどこか別の空域を見ている=意識がボーっとなる。)も、多い時には学校にいる間に90回もあったマシュー。
4年生、5年生と成長してく間に、大きなてんかん発作はなくなり、小さなてんかん発作も月に1,2回程度になったのです。発作の減少に伴って、学力もぐーん と向上し、5年生で小学校を卒業する時には読み書きは3年生レベルに。算数計算はマスターの域になっていました。ご両親と共に、本当によくがんばった 生徒でした。

「マシューが小学校を卒業して、新しい中学で落ち着いたら、このポジションからの異動願いを出そう。」
私は決めました。

マシューと出会えて、てんかん発作の事以外に、別の障害の知識も多く得られました。マシューが在籍していたクラスには、もちろん自閉症児もいましたが、Learning Disability (学習障害)、ADHD(注意欠障害)、Emotionally Disturbed (情緒障害)の生徒もいました。この経験を通じて、ABAは「どんな生徒にも使える」という事を確信することもできました。そして、私が助教員としてやりたい事は、冒頭に書いた後者。つまり、クラス付きの助教員として、特定の個人生徒だけを最優先にサポートするのではなく、サポートが必要な全ての生徒達と接したいと思ったのです。これは自分勝手な理由なのは十分わかっていましたが、やはり私の心は「自閉症児のサポートがしたい」思ったからです。どんな障害がある生徒と接していても、あらゆる状況で、例えば教科を教える際にしても、いわゆる「問題行動」に直面した際にしても、まず私の頭の中で考える事は、「これがタマだったらどうするか?」「タマとこの教科のこの内容を学んだ時はどうやったか?」と、必ずタマを考える自分がいたからです。タマに自閉症診断が出てからバケツいっぱい流した涙 。そこから這い上がってタマと二人三脚で歩んできた過程を無駄にするまいと決めて前進した私の気持ち。( 要するにわがまま。)タマとの時間で イライラ してヒステリック母ちゃんになりそうな自分もたくさんたくさんいました。でもタマはいつでも私に何かを教えてくれていました。今現在でもそれは変わりません

マシューが中学へ進学後、私は異動願いを提出。特別支援学級(小学校~高校)からのオファーは30数校。妥協せず、自分が心からやりたいポジションのオファーを待っていると最後の最後に...。小学校の2~4年生の自閉症学級のクラス付き助教員のポジションのオファーが来たではありませんか
面接をして頂き採用決定。次の学校での勤務開始は3週間後。担任とマシューのご両親にはすぐにお伝えし 、相談の結果「マシューがすごく悲しむのはわかっているから、最後の1週間の時まで、この事は言わない。」という事になりました。

立派でハンサムな中学生になったマシュー。
中学の環境にもすぐに馴染んで、新しい友達もできました。
てんかん発作もゼロ。
「マシューは大丈夫。」
私はマシューの成長とてんかん発作が無くなった事を本当に嬉しく思いました。
私が別の学校に異動する 1週間前。
それは、マシューの中学での新生活が始まってから1カ月半後の時でした。
担任がクラスの生徒全員に対しての告知をして下さいました。
マシューは、 目に涙をいっぱいためて、私にこう言いました。
「maki先生。ぼくの事をおいて行かないで。ぼくの発作が起きたら、誰がぼくの事をキャッチしてくれるの?新しい学校に行ったら、ぼくの事なんか忘れちゃうんでしょ。」
心の中で「マシュー。ごめんね。」と、私はいっぱい謝りました。
そしてマシューに言いました。
「マシュー。マシューとマシューのお父さんとお母さんがたくさんたくさんがんばったから、てんかん発作も無くなってきたんだよ。私はマシューの事、絶対に忘れないよ。1番最初の、1番特別な私の生徒だから。大丈夫。また会えるから。マシューが中学校を卒業する時には卒業式に行くから。」と。
マシューは、ギュッと私に大きな大きなハグをしてくれました。
そしてマシューの個人講師・お世話係としての最終日。
「最後に1枚写真を撮って 」という、マシューとマシューの友達(2人は自閉症児)の要望に応え、「 オッケー!んじゃ、最後はクレイジーな写真で行こう!」っと。
マシューが言いました。「じゃあ、鼻くそほじほじモンスター!」
もちろん私の答えは「 ノープロブレム!」
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最後の日
最後の日。マシューのご両親からとっても素敵なカードも頂きました。
「maki先生。あなたがこれまで息子のためにしてくれた全ての事と比べたら、私達からの"thank you"という一言がとても小さく感じます。でも、この一言には私達のハート一杯がこもっています。あなたの優しさとサポートは忘れません。マシューと私達は、maki先生がいなくなってしまう事を本当に寂しく思います。新しい学校でのご活躍を祈っています。」
マシュー!!!がんばって!
そして、ありがとう!!!!!